平成30年2月号 岩井 隆さん(花咲徳栄高等学校野球部監督)

更新日:2018年3月22日

プロフィール

岩井いわい たかしさん

けやき台在住。
東北福祉大学を卒業後、花咲徳栄高校の社会科教諭に。
同校野球部のコーチを経て平成13年に監督に就任。
29年夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)で埼玉県勢初の優勝を飾る。

甲子園に帰る。優勝旗を再び埼玉に

 平成29年夏の高校野球決勝戦。試合の行方を手に汗握って見守った人も多いだろう。この日は埼玉県に初めて深紅の優勝旗がもたらされた歴史的な日となった。
 花咲徳栄高校野球部を頂点に導いた監督・岩井 隆さんは、「人材育成・人間形成が一番大切です」と語る。「人材を作るのに正解はありません。常に迷いながら進んでいます」。だが、その口調に迷いはなく、一本筋が通った信念を感じさせる。
 ここ3年程は、「自立」がテーマ。画一的な良い子ではなく、先生がいなくても自分で考え、前に進める生徒を育てたいという。「正直、『なぜ甲子園で勝てたのか?』と聞かれると、困ってしまうんですよ。『これ』という答えはないから」。だが、思えば大会期間中の選手たちは、現地に23連泊しても生活のリズムを崩さなかった。球場いっぱいの観衆を前にしても舞い上がることなく、勝ち続けても平常心を保ち続けた。「自ら想像し、考え、決断し、行動する『自立』した選手に育ってくれたことは、とても大きかったと思っています」。
 体が小さく、一度は野球を諦めかけた少年時代。道を見失いかけた岩井少年を救ったのは、「大きくても小さくても、ホームベースを踏めば同じ1点。体格は関係ない」という、後に生涯の師となる故・稲垣 人司ひとしさんの言葉だった。高校時代は、恩師の元で野球一筋。大学時代の野球部の先輩や同僚には、著名なプロ野球選手の名前が並ぶ。
 卒業後、恩師に導かれるように花咲徳栄高校へ。野球部監督を務める恩師をコーチとして補佐し、強豪校に育て上げた。
 現在は、社会科の先生と野球部の監督。両立には苦労も多いが、授業はグラウンドでは見えない、生徒たちの「本性」を見極めるチャンスでもある。
 普段は学校の寮で生活し、週末に所沢の自宅に戻る生活を続けている。帰宅時は家族で食事に出掛けるなどして、できるだけ一緒に過ごす。「所沢は、緑が多くて良い所。木々が育つところは人が育つところだと思います」「交通の便が良く、いろいろな大学に通いやすい。子どもにとって選択肢が多い、恵まれた場所です」と、先生ならではのコメントも。

 今年の目標は?の質問に、「まず、4年連続の甲子園出場を勝ち取ることです」と、きっぱり。甲子園のファンは、出場したチームを見送るとき「また甲子園に帰ってこい」と声を掛けてくれるという。甲子園に帰る、さらに。「昨年持ち帰った優勝旗は、第99 回大会までのもの。今度新調される第100 回大会からの優勝旗も埼玉に持ち帰る。そのために切磋琢磨します。激戦区といわれる埼玉で、花咲徳栄を越えようという学校が出てこなくてはいけない。もちろん花咲徳栄も負けるわけにいきませんよ。『連覇』と言う資格があるのはうちだけですから」と語る姿に、強い闘志と決意を感じた。
(取材:加賀谷)

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