旗本宇佐美家・久貝家の墓

更新日:2019年10月16日

 「旗本宇佐美家・久貝家の墓」は、宇佐美家の墓3基及び久貝家の墓6基と石灯籠1基が一列に並び、墓所入口の左右に常夜灯が2基建っています。石灯籠と常夜灯は、延宝5年(1677年)7月に久貝正方くがいまさかた久貝正世くがいまさよの養子)が久貝正俊くがいまさとし久貝正世くがいまさよの供養のために奉献したものであり、これにより「旗本宇佐美家・久貝家の墓」は久貝正方くがいまさかたが整備したと推量されます。江戸時代初期に所沢市域を支配した旗本の地方知行の実相を示す貴重な歴史資料です。
 宇佐美家の墓3基は、徳川氏の関東入国後、岩崎村を知行したといわれる宇佐美長元うさみながもととその妻、及び宇佐美氏縁者の墓です。『寛政重修諸家譜』には、長元は岩崎村の瑞岩寺に葬られたとあります。また、宇佐美氏縁者とされる墓は、宇佐美(久貝)正久まさひさと推量されます。正久は、久貝正俊の庶長子として生まれ宇佐美長元の養子になりましたが、後に長元に男子(宇佐美長歳うさみながとし)が生まれたため久貝家へ戻ります。
 久貝家の墓6基は、久貝正俊とその妻(宇佐美長元の娘)及び2人の間に生まれた子(久貝正偏くがいまさとも正世まさよ正信まさのぶ)と、久貝正信と宇佐美長歳の娘との間に生まれた子(久貝俊忠くがいとしただ)の墓です。『寛政重修諸家譜』によると、久貝正俊は交野郡中宮村(現在の大阪府枚方市)に葬られましたが、岩崎村にも墓石が建立されたものと思われます。また、正偏・正世・正信・俊忠も葬地も他所にありますが、母(宇佐美家)との縁で当地にも墓石が建立されたと推量されます。
 なお、岩崎村は、宇佐美氏の後に久貝正信が知行し、以降、久貝氏は幕末まで同地を知行しました。

【指定年月日】平成25年8月1日
【所在地】所沢市山口400番地の1(瑞岩寺内)

瑞岩寺のご案内

所在地

所沢市山口400番地

交通アクセス

西武池袋線「西所沢駅」下車 徒歩約15分
市内循環「ところバス」南路線(山口循環コース)「瑞岩寺前」下車すぐ

お問い合わせ

所沢市 教育委員会教育総務部 文化財保護課
住所:〒359-0042 所沢市並木六丁目4番地の1
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