所沢市の農業の概要

更新日:2008年11月12日

経過

 所沢市が誕生した昭和25年の頃は、戦後の食糧不足を解消するための国の政策に基づき、米、麦、いも類の増産に力が注がれていました。昭和30年、柳瀬、三ヶ島の両村と合併し現在の所沢市となった頃は、景気も徐々に回復し食糧事情の好転とともに米、麦、いも類に代わって野菜の作付けや畜産が大きく伸びていきました。
 しかし、昭和30年代中頃、日本経済の成長とともに、都心に近接した所沢市では大規模な住宅団地や工場、それに伴う公共施設や道路建設が多くなり、農地は急激に減少し始めました。さらに、農業と他の産業との所得格差が大きくなり、また都心への通勤に便利なこともあって、農業者の減少や兼業化が著しく進んでいきました。
 このような状況に対して所沢市では、国の農業施策が食糧増産を重視した内容から農業生産性の向上や農家経済の安定へと転換していったことを踏まえ、国や県の補助を受けながら旧村を単位として全市的に共同出荷所などの農業近代化施設の整備や、トラクターなどの機械導入、そして農村部の生活向上の中心となる生活改善センターの建設を大規模に行いました。
同じ頃、農業経営の専門化が進み、専門分野ごと、あるいは地域を単位とする各種の農業者組織が結成され、生産技術向上を目指しての品評会や共進会が盛んに行なわれていました。
 昭和40年代に入っても都市化の勢いは衰えず、逆に一層激しくなってきました。そこで所沢市は、昭和45年「都市計画法」に基づき無秩序な開発を規制するために市内を開発すべき市街化区域と、開発を抑制する市街化調整区域の2つに分けました。
 そして、昭和49年には「農業振興地域整備に関する法律」により市街化調整区域を農業振興地域として位置付けました。これ以後、優良農地の保全や、国・県の補助により主に農業振興地域内の農業経営の改善に必要な施設の整備や各種の補助事業に取り組んできました。

現況

 現在、所沢市では首都近郊という有利な立地条件を生かし、露地野菜、茶、畜産などを中心とした農業が行なわれています。地域的には、市西部地域は茶、桑、果樹といった永年性の作物が主で、東部地域では逆に露地野菜が中心に行われています。
 昭和61年に市内7農協が合併して所沢市農協が誕生し、昭和62年には関越自動車道所沢ICのそばに卸売市場が開場しました。さらに平成元年に野菜生産出荷の中心ともなる真空予冷施設などを備えた所沢市農協中央集出荷所が、また平成6年には所沢市農協共同荒茶加工施設が業務を開始しました。このように、農業生産に関する施設などの整備が進められてきたことと、生産意欲の高い農業経営者や、それに続く若い後継者の努力によって県内有数の農業生産が行われ、都市近郊農業として発展を続けてきています。

特色

 都市近郊農業として発展を続ける所沢市の農業の特色としては、経営基盤である農地の価格高騰が経営規模拡大の妨げとなったり、農村と都市の混在化の進行に伴う農業生産環境の激変により、従来はあまりみられなかった周辺の住民や環境への配慮が経営上大きな課題となるなど、厳しい問題があげられます。特に農薬の使用や、畜産経営や有機質堆肥利用に起因する悪臭の発生などは深刻な環境問題ともなっています。
 しかし、一方では都市基盤、生活環境の整備が進み、農業外収入の拡大による農家経営の安定等により後継者の定着が促進されるといった側面もみられます。また、大消費地に近いだけでなく同じ地域内に多くの消費者が生活していることから、農産物を市場を通さずに直接供給する直売方式の発展が今後ますます期待されます。さらに、最近では農業へ参加することをレジャーとして楽しむ市民が増え、都市における農業と農地の新しい役割が見直されています。
 こうした中、所沢市では生産基盤というだけでなく都市住民への緑地空間の提供や防災機能など重要な役割を果たしている農地の確保、農業生産に必要な施設や組織の整備、そして都市化が一層進む中で次代を担う農業後継者が農業をしやすい環境づくりを目標に施策を進めているところです。

お問い合わせ

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